「そして序列化されたときに幸せになれる人は実のところはほとんどいない。
勝ち組は少数であるし、勝ち残ったと思っている人も常に競争に脅かされて不安だからだ。」著者-村上靖彦 (2023). 客観性の落とし穴 筑摩書房
どうも! 手取り30万サラリーマンのさとまると申します。
今回、ご紹介する本はこちら!
客観性の落とし穴
村上靖彦 著
前半:客観性や数値化が生まれた経緯と弊害
後半:過剰な数値化やデータ化から脱却する方法
本書は、競争社会に疲れたあなたに読んでもらいたい本です。
全体的に社会福祉に関する課題、その打開策を提示した本になりますが、
一般的な視点から見ても社会の閉塞感の謎を解き明かしてくれています。
原因がわかれば少しは気持ちが楽になるかもしれません。
そして、本記事はこんな疑問をもつアナタにぜひ読んでいただきたいです。
それではどうぞ。
※全文読まなくても、太字のところだけでもわかるようになってます。
ぜひ最後までご覧いただければ幸いです。
Q. なぜ客観性(データや論理)がもてはやされているのか?
A. 個人で未来のリスクに備えることが必要になった社会の中で、
わかりやすく見える化された数値にすがるようになったから。
現代社会はすべてが数値で評価されていると言っても過言ではありません。
成績、順位、偏差値、売り上げ、、、、
なぜこのような社会になったのでしょうか?
主な原因は以下の二つです。順番にみていきましょう。
・他人を説得して、縛り付けて思い通りに動かすため
まず、今の社会は良くも悪くも自由であり、いつどこで何をするか自分で決めることができます。
言い換えれば、自分の身は自分で守らなければなりません。
何かを判断して決断する時、その責任は個人に重くのしかかります。
そんな時、人は何かにすがりたくなるものです。
責任取りたくないから、何か身代わりになるものないかな……
そこでちょうど科学の進歩によりもてはやされていたのが、
データや統計学に裏打ちされた数値なのです。
データがこう言っているので、こうします!
と言えば、あたかも自分で決めたわけでなく、数値が決めてかのように聞こえます。
こうして責任転嫁先として、データや数値が取りざたされたのです。
もう一つ、自分の身を守るためには他者の行動を縛りつける必要があります。
例えば学校の先生の場合、生徒を立派な大人として社会に送り出すことが求められます。
(自分で言っておいてなんですが、立派な大人って何なんでしょう?笑)
そのためには勉強をして良い成績を出してもらわなければなりません。
勝手な行動を起こさないように生徒の行動を縛りつけなければなりません。
勉強しないと将来困ることになるぞ!!
と先生が言っても、なかなかいうことを聞かない生徒も多いはず。
(私も小学生の頃はその一人でした…)
そんな生徒を納得させるために、数値化されたリスクが役に立ちます。
無理やりにでも数値化することで、無理やり納得する証拠が欲しいのです。
「なぜそう判断したか?」と問われたときの説明の仕方として、
誰もが納得できる数値に頼るようになりました。
その文脈なら、会社に勤めて立派な立派になれば幸せになれそうですよね?
これに疑問を持った人は、本記事続きをお読みください。
Q. なぜ会社勤めで幸せを感じづらいのか?
A. 常に競争する構造である会社の中で勝ち残ったとしても、いつ負けるかわからない不安が付きまとうから。
負けるほど数値化に頼らざるを得なくなるから。
数値により序列化された社会では、どんな些細なことも数値化され評価の対象となってしまいます。
さらに数値化によって多数派と少数派の線引きが可能なりました。
統計学が発展する中で、多数派こそが「一般的」であり「妥当性」を持ち、「普遍性」を表す真理なのだと誤解してきたせいで、あたかも多数派が正義のように錯覚してしまうのです。
序列化は政治経済状況によって変化するため、変化の激しい現代社会においては
「次は自分が排除されるかも」という不安が息を詰まらせる状況を生んでしまいました。
弱い人や不安な人はないかに頼ろうとし、数値化されたデータに責任を負わせようとします。
その結果、社会的に弱い立場の人ほど規範に従おうとするようになったのです。
そして、データや数値化といった客観性を重視する中、
個人の経験や感情はどんどん無視されていきました。
Q. 数値化信仰から脱却し、誰もが生きやすい社会にするには?
A. 個人の経験を復権する。
さて、ここからは明るい話をしていきましょう。
序列化された社会をどうやったら生きやすい社会にできるかを上げていきます。
社会とはそもそも人が人を支え合いながらケアすることで成り立っています。
しかし多くの人はそれを忘れてしまい、今の個人主義的な社会になってしまいました。
親ガチャなんて言葉が流行りましたが、これこそ個人主義を体現しています。
どんな環境に生まれようとも、互いに支えあう社会が整っていれば影響は少ないはずです。
人は一人では生きていけません。誰かに支えられながら、また誰かを支えています。
つまり、個人の考えや経験を踏まえた、その人に合ったケアが必要になるのです。
そのためには、以下の4つの行動が必要になります。
(1)小さなSOSに感知する
(2)取り残された人を探す
(3)彼らの生活を支える
(4)居場所を複数つくる
ここで印象的な本文を引用したいと思います。
私らからしたら、『お買い物ぐらい毎日、一人で行ってよ』って思ったとしても、それはその子にとったら、『なんで自分だけ』って思っていることかもしれないから、同じ苦しみなんですよね。
「苦しさに誰の方が大変とか、誰のほうがしんどい〔とか〕、絶対ないんです」。著者-村上靖彦 (2023). 客観性の落とし穴 筑摩書房
感想
ここからは私なりの感想になります。
私自身、競争は好きではありません。
こんなに便利な世の中なのにこれ以上なにを望むのかと。
弱者は社会が勝手に規定しているだけで、マジョリティの怠慢だと思いました。
いかがでしたでしょうか?
今回ご紹介した内容は、私が独断と偏見で選んだ一部にすぎません。
もっと知りたい!と思ったら、実際に本書を読んでいただくことをオススメします。
本書は以下の構成で書かれています。
第2章 社会と心の客観化
第3章 数字が支配する世界
第4章 社会の役に立つことを強制される
第5章 経験を言葉にする
第6章 偶然とリズムー経験の時間について
第7章 生き生きとした経験をつかまえる哲学
第8章 競争から脱却したときに見えてくる風景
今回の記事は、主に第1,3、8章を参考にしています。
本を読む時間が無い!、という方には「耳で聞く読書」がオススメです。
詳しくは下のリンクからどうぞ。(急な広告、失礼します。。。)
ではまた。
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